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東京地方裁判所 平成2年(ワ)2211号 判決

原告

伊沢卓士

黒田義夫

楠木裕樹

光森豊

岡確

池元弘

江田弘

右原告ら七名訴訟代理人弁護士

河原昭文

高野嘉雄

高木甫

被告

部落解放同盟

右代表者中央執行委員長

上杉佐一郎

右訴訟代理人弁護士

松本健男

主文

一  原告らの被告同盟員の地位にあることの確認を求める訴えを却下する。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  原告らと被告との間において、それぞれ原告らが被告同盟員の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告らに対し、それぞれ金五〇〇万円及びこれに対する平成二年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要(なお、原告は、被告の表示について、当初「部落解放同盟中央本部」とし、後にこれを「部落解放同盟」と訂正したものである。また、当事者双方は、「部落解放同盟中央本部」との呼称を用いているが、その定義については明確な主張がなく、部落解放同盟規約においても中央本部についての明確な定めはなく、通常は全国組織としての部落解放同盟自体を「部落解放同盟中央本部」と称しているものと推認されるが、被告においては「部落解放同盟中央本部」は、部落解放同盟の機関であると主張する部分もあるので、以下当事者の主張の整理については、当事者が「部落解放同盟中央本部」と主張しているものについては、原則として、そのまま「部落解放同盟中央本部」あるいは単に「中央本部」として整理する。)

一  争いのない前提事実

1  当事者

(一) 被告

被告は、昭和二一年二月一九日、全国水平社の伝統と組織を継承する形で結成されたものであり、部落差別から部落民衆を完全に解放することを目的とする権利能力なき社団であって、部落解放同盟規約(以下「本件規約」という。)を有する。

(二) 原告ら

原告らの被告同盟員となった時期、所属の県連合会支部及びこれまでの主なる役職等は別紙記載のとおりである。

2  被告の組織

被告の基礎組織は、支部であり、支部は部落を単位として、五名(五世帯)以上の同盟員をもって組織するものとされている(本件規約六条)。そして、各都府県の地域内に五つ以上の支部があり、かつ同盟員が一〇〇名以上あるときは、都府県連合会(地方組織)を結成することができ、右結成のときは所定の手続により中央本部の承認を要するとされ(同九条)、他方、中央組織としては、全国大会が被告の最高機関であり(同一二条)、これに次ぐ決議機関が中央委員会であり(同一六条)、以上の諸決定を執行する機関が中央執行委員会とされている(同一八条)。右のほか、中央執行委員会の提起を受けて同盟員の除名処分等について審査及び処分決定を行う機関として中央統制委員会が設置されている(同二一条)。なお、本件規約二九条には「本同盟(被告)の名誉を汚損し、規約に違反し、機関の決定に従わない等の行為ある同盟員は、都府県連合会の統制委員会で審査のうえ除名、除籍勧告、活動停止、役職停止、戒告その他の統制処分をおこない、また解除することができる。但し除名処分については都府県連合会より中央統制委員会に報告し、審査・確認を必要とする。なお活動停止や役職停止処分は二年を限度とする。」旨定められている。

3  岡山県連合会(以下「岡山県連」という。)の解体

被告は、平成元年三月二八日、岡山県連にかかる一切の機関(ただし、支部機関を除く。)を解体(右県連役員の一律解任及び県連機関自体の消滅)し、岡山県連機関再建までの期間、各支部を被告中央本部の直轄支部とすることを決定した。

4  本件除名処分

被告の中央統制委員会は、原告らに対し、平成元年八月一日ころ、左記の内容の文書を送付し、原告らを被告から除名する旨の処分(以下「本件除名処分」という。)を通知した。原告らは、いずれもそのころ右文書を受領した。

「中央執行委員会より発議されていた貴殿らに対する除名処分の申請につき、当委員会は、慎重に審議し、第四六期第二回中央統制委員会(七月二五日)において、下記の通り除名処分を決定したので通知する。

本決定により、貴殿らは、解放同盟とは一切無縁であり、同盟員としての資格を喪失したことを通知する。

なお、本決定に不服の場合は、規約第三〇条により、当委員会に対し、抗告することができる旨、申し添える。但し、抗告の意志がある場合は、一九八九年八月三一日までに、文書にて抗告理由を記して、当委員会に提出することを指示する。

(決定内容)中央執行委員会の申請のとおり、伊沢卓士、黒田義夫、楠木裕樹、岡確、光森豊、池元弘、江田弘の七名を除名処分とする。」

5  本件除名処分に対する抗告

原告らは、被告の中央統制委員会に対して、本件規約三〇条に基づき、平成元年八月三一日付けの抗告書をもって、本件除名処分に関する抗告をしたが、中央統制委員会は、平成元年一二月一二日付けをもって抗告を却下した。

二  争点

1  被告の表示の訂正の可否

(原告らの主張)

被告の表示としての「部落解放同盟中央本部 右中央執行委員長上杉佐一郎」は誤記であるので、被告の表示を「部落解放同盟 右代表者中央執行委員長上杉佐一郎」と訂正する。誤記の理由は、部落解放同盟は全国に各都府県連合会を組織しているところ、各連合会において、全国組織である部落解放同盟を呼ぶ場合には、通常、部落解放同盟中央本部と称するのが事実上の慣習になっているためである(なお、中央本部は、規約にも何らの記載がなく、部落解放同盟の機関でもない。)。

(被告の主張)

原告の行った被告の表示の訂正に異議を述べる。

右訂正前の表示において被告とされている「部落解放同盟中央本部」は、部落解放同盟の機関にすぎず、本件訴訟の被告としての当事者適格を有しないから、本件訴えは不適法である。

2  本件訴えが法律上の争訟に該たるか否か。

(被告の主張)

(一) 被告は、部落差別から部落大衆を完全に解放することを目的とし、全国にわたる部落において右目的達成のために活動する部落民が自主的に加入し構成する自主的な団体であり、また被告の内部事項は同盟員の権利義務や統制事項を含めて規約及び長年にわたる慣行に基づいて運営されている団体であって、その意味では被告を政党と本質的に区別する理由はなく、高度の自主性と自律性をもって組織運営がなされるべきものである。そして、被告のような自主的自律的な大衆団体における内部問題については、原則として公権力の介入は許されず、その内部の構成員に対する除名その他の制裁処分についても、その内部的自律権によるものとして裁判所もこれを十分尊重するのが妥当である。

そして、本件除名処分は、部落解放運動団体である被告が、その自主性に基づき内部的自律権の発動としてした処分であるから、一般市民法秩序と直接関係を有しない内部的な問題に止まるにすぎない。したがって、原告らの本件訴えは法律上の争訟に該当しないのであって却下されるべきである。

なお、部落民が受給する個人給付につき、被告から除名されたという理由で打ち切られたという事例は、現在に至る相当年数の経過においてもないし、そのおそれもない。また、岡山県から部落解放運動団体に支給されている団体補助金は、原告ら個人に帰属する権利ではないし、原告らの所属する旧岡山県連の組織が法的に県及び市町村に請求し得るものでもなく、運動団体の要求ないし折衝により合目的的な行政裁量によって決定されるのであって、一般市民としての権利・利益に当たらない。したがって、これらの点を根拠に、本件訴えが法律上の争訟に該当するとはいえない。

(二) 本件の主位的請求(地位確認請求)と追加的請求(損害賠償請求)は、前者の請求が認容される場合において初めて後者の請求も認容される可能性を有するにすぎず、前者の請求が却下もしくは棄却される場合には後者の請求も理論上当然に却下もしくは棄却される関係に立つものであって、両者の請求は一体となるものであり、本件の追加的請求には主位的請求から独立した、別個の訴訟物が含まれているとはいえないのであるから、本件主位的請求と合一的に確定すべきである。

(原告らの主張)

あらゆる社会関係から疎外され、基本的人権や自由を享受しえない立場にある部落民が、国及び自治体を相手に生活改善の運動等を行うためには、必然的に部落民の団結を必要とするところ、被告は、右のとおり生存的基本権に裏打ちされた、いわば部落民の団結権に基づき構成された団体であって、労働組合に極めて近い性格を持っており、水平社以来部落解放運動の中核的存在として、社会的にも広く認知されている。そして、とりわけ、右事業の個人給付事業が日々の生活と直結したものであることを考慮すると、その排除により回復しがたい損害を受けることは十分に考えられるのである。そうすると、被告の構成員たる部落民が恣意的に被告から排除された場合には、当該部落民は、労働組合から恣意的に排除された労働者がその地位の確認を求めて司法的救済を図り得るのと同様の意味において、その地位の確認を求めて司法的救済を図り得るというべきである。

また、部落解放同盟は、部落差別から部落民衆を完全に解放するという目的の下に結集した、多種多様の思想、信条をもった部落民を主要な構成員とする団体であり、団体の性格において政党や宗教団体とは決定的に異なっており、その活動は、部落解放同盟の目的が右のとおり部落差別の根絶にある以上、一般市民社会に対して向けられているものであって、一般社会の存在とは別個に組織内的に活動することを目的としているものでもない。

さらに、本件は、原告らの意に反して被告から放逐し、部落解放に向けての被告の運動から排除しようとする点が問題とされているのであり、単に被告の組織内部の問題と見ることはできない。

3  本件除名処分の適否

(原告らの主張)

本件除名処分は、本件規約二九条に定める「本同盟の規律に違反する行為等」や「本同盟の名誉を汚損し、規約に違反し、機関の決定に従わない等の行為」といった実体的な除名事由を欠く。

また、中央統制委員会は、除名処分を決定するに当たっては、手続の適正を確保する必要があり(なお、本件規約二一条は、統制処分に関し、中央統制委員会が裁判権限を有する機関として裁判的な審理手続を行うことを前提としている。)、そのためには少なくとも被処分者から直接事情を聴取すること、自己において事実を調査することが必要不可欠であるにもかかわらず、被告は、起訴権限を有する中央執行委員会委員長からの事情聴取をしたものの、被処分者である原告らから事情聴取することはなかった以上、右処分には、その手続に瑕疵があるから、本件規約二一条に違反し無効である。

そもそも、被告が本件除名処分の処分事由として挙げる内容は、いずれも原告らが岡山県連の機関として行ったものであり、本来同盟員の個人の行動について適用される除名処分には該当しないのである。被告は、岡山県連の解体に伴い、その執行部を構成していた原告らを排除するために、除名処分の外形を利用したものであり、本件除名処分は、その実体的処分事由を欠く無効なものであるうえ、手続的にも瑕疵を有する。

(被告の主張)

(一) 本件除名処分に至る経緯

昭和六三年九月九日、岡山県連所属の同盟員である訴外宮本繁(以下「宮本」という。)ら二四名は、中央本部に、「岡山県連に対する根本的組織指導の要請について」と題する文書(以下「本件要請文」という。)を持参し、本件要請文において、現在の岡山県連執行部には腐敗堕落の疑惑があり、また自分の意にそぐわない者に圧力をかけ、組織矛盾を激化させているなどの具体例を挙げて、これに対する被告の組織指導を要請した。被告は、その中央本部の内部に、岡山県連組織対策委員会を発足させたうえ、岡山県連に対して組織問題に関する報告書の提出を指示するとともに、右対策委員会の開催、関係者からの事情聴取等を行った。その結果、本件要請文記載の事実には看過できない憂慮すべき問題が多々含まれていたこと、また、昭和六三年一二月三〇日付けの岡山県連有志の要請文により、明らかな事実として、財団法人岡山部落解放研究所(以下「部落研究所」という。)所有の土地建物に対して根抵当権が設定されていたという問題が判明したこと及び右一連の調査において、右事実に対する岡山県連幹部の認識と責任感が希薄であり、糊塗的対応で右事態を乗り切ろうとする姿勢が顕著であったことから、被告は、現在の岡山県連機関が右問題解決のための能力と信頼を有していないと判断した。

そこで、被告は、平成元年三月二八日、本件規約九条により、岡山県連にかかる一切の機関(ただし、支部機関を除く。)を解体(県連役員の一律解任及び県連機関自体の消滅)し、右県連機関再建までの期間、各支部を中央本部の直轄支部とすることを決定した。

また、被告の中央執行委員会は、平成元年五月二二日、本件規約二一条により、原告らに対する除名処分を発議し、同日、中央執行委員会は中央統制委員会に対し、右審議を付託した。そして、同年七月二五日、中央統制委員会は原告らに対する除名処分を決定し(本件規約二一条及び二九条の準用による。)、同年八月一日、これを原告らに通知した。

(二) 本件除名処分の処分事由

被告は、次に掲げる各除名事由を総合して、原告らに対して本件除名処分を行った。

(1) 岡山部落解放センターを一握りの企業者への融資のために担保に入れた行為と、これによって得た原資の運用において、岡山県連幹部関係者が真先に融資を受けた行為。

岡山県連は、昭和五三年一一月、岡山市丸の内一丁目に鉄筋コンクリート造四階建ての建物(部落解放センター、以下「本件建物」という。)を建築し、本件建物及びその敷地(272.03平方メートル、以下「本件土地」という。)について、部落研究所の所有とした。部落研究所は、基本財産として本件土地及び本件建物を所有し(寄附行為の第六条二項1・2)、その寄附行為において、基本財産は処分することができない旨及びやむをえない事由があるときは理事会において理事の四分の三以上の同意を経、かつ岡山県知事の承認を得なければならない旨規定されていた。

ところが、原告らは、その多くが部落研究所理事の地位にあることを利用し、本件土地について、昭和五六年四月一日、岡山県同和産業協同組合を債務者とし、岡山県信用保証協会を根抵当権者とする根抵当権設定登記(極度額一億五四〇〇万円)をし(昭和六一年五月六日解約により抹消)、また、同日、岡山県同和農業協同組合を債務者とし、中国銀行を根抵当権者とする根抵当権設定登記(極度額一億六五〇〇万円)をし、さらにまた、昭和六一年一一月二九日、岡山県同和産業協同組合を債務者とし、中国銀行を根抵当権者とする根抵当権設定登記(極度額一億七六〇〇万円)をし、また、同日、岡山県同和産業協同組合を債務者とし、岡山県信用保証協会を根抵当権者とする根抵当権設定登記(極度額一億五四〇〇万円)をした。

被告において、右の点を調査した結果、右岡山県同和産業協同組合(昭和五五年九月一六日設立)は、昭和六〇年六月一〇日に一旦清算結了したものの同年一一月一九日再設立されたところ、その出資口数三〇〇〇口のうちの三分の二を原告伊沢卓士(以下「原告伊沢」という。)及び同江田弘(以下「原告江田」という。)が保有し、原告伊沢が右の代表者理事になっていること、岡山県同和産業協同組合及び岡山県同和農業協同組合はいずれも同県内の解放同盟員全体を対象としたものではなく、岡山県連における討議に基づいて設立運営されている公認の組織でもないこと、また右各根抵当権設定に関し、岡山県連としての正式な内部討議が全く行われておらず、原告ら一部の同県連幹部の独断で進められたものであること(当時の同県連委員の多くは右事実を全く聞知していなかった。)、岡山県同和産業協同組合の場合、原告伊沢及び同江田が優先的に多数の融資を受けており、また原告らは融資先及び融資金額を明らかにしようとしないことが判明した。

右のとおり、原告らの右根抵当権設定行為は、寄附行為に違反するのみならず、その設定のやり方等においても独断専行によるものがあって、岡山県連の同盟員の強い批判と不信を招くものであった。

(2) 中央執行委員会、中央委員会の決定を無視し、中央本部への誹謗中傷を繰り返し、岡山県連再建運動に対する敵対と妨害を続けている行為

昭和六二年四月の岡山県議会選挙の際、訴外谷村啓介(以下「谷村」という。昭和四二年から被告の推薦を受けて県議会議員となり、社会党県本部副委員長を歴任したほか、後述の聖光苑問題にも深く関与していた。)の後援会会員の訴外吉田巌が、谷村の活躍を掲載した昭和四五年一〇月一三日付け岡山日報の記事を九〇数枚コピーして右後援会会員に郵送したところ、右コピー中に矢田事件と呼ばれる事件に関わる部落解放同盟批判の文章の一部が含まれていた(以下「谷村文書問題」といい、文書自体を「本件コピー」という。)。そのため、右後援会は岡山県連から抗議を受け、右後援会事務局長が同県連に謝罪した。

その後、昭和六三年六月、岡山県連から社会党岡山県連本部に対し、同年七月二日を指定して「県議選・谷村差別事件確認会への出席要請」なる文書が送付された。

この件に関し、中央本部は、友好関係にある社会党との関係に関わる重大な問題であるとして自ら調査を行うことを決定し、岡山県連に対し、同年六月二一日、事情調査を続行するが、右確認会は現状凍結するよう要請し、また、中央本部において、関係者からの事情聴取及び岡山県連の代表者との話し合いを行ったうえ、同月三〇日、岡山県連に対し、中央本部と岡山県連との基本的な意思の一致が得られるまで確認会を延期するよう指示をした。

しかし、岡山県連は、右指示を無視して、同年七月二日、右確認会を強行し、社会党県本部委員長に対し、本件コピーが差別文書であることの確認を求めるとともに、そのころ、大量の解放新聞の号外を作成して岡山県庁等の行政機関に配布し、さらに谷村批判の街宣活動を行うなど、中央本部の要請及び指示を完全に無視する態度を継続した。

その後、中央本部は、同年七月一三日、本件コピーは不用意かつ軽率ではあるが差別文書とまでは言えず糾弾するに値しない等の内容の公式見解を表明し、同年九月一四日には、谷村及びその後援会から中央本部及び岡山県連宛てに反省文が提出されたことにより谷村文書問題は全面的に解決した旨の最終見解と、岡山県連に対し、今後谷村を差別者呼ばわりすることを一切せず、社会党県本部及び谷村後援会との友誼連帯を強化するようにとの指示を出した。

しかし、原告ら岡山県連執行部は、網の目行動と称して、作東町等において、谷村に対する差別者攻撃を大々的に行い、中央本部の指示を無視する態度を継続した。こうした原告らの行動は、被告が平成元年三月二八日に岡山県連の解体指示をした後も引き続き行われた。

原告らの右各行為は、本件規約二九条に該当する。

(3) 平成元年五月一三日の岡山県連機関再建強化委員への監禁・暴行事件

右同日、岡山市浜川原隣保館二階大会議室において、中央本部主催による岡山県連機関再建強化委員会が行われていた。同日午後三時、原告ら、もと岡山県連幹部は、数十名を動員して、原告岡確(以下「原告岡」という。)、同光森豊(以下「原告光森」という。)、同楠木裕樹(以下「原告楠木」という。)及び同江田らの指揮の下、十数名が、施錠されていた右会議室の錠を無理に開錠して乱入し、右再建強化委員会の中心的メンバーである宮本、訴外片岡清人(以下「片岡」という。)及び訴外高山勝見(以下「高山」という。)らに襲いかかり、取り囲んで押し倒す、殴る、蹴る等の暴行を加え、宮本に対し左第八肋骨亀裂の、片岡に対し左膝打撲の、高山に対し右第八肋骨骨折及び背部右大腿部打撲の傷害を与えた。さらに、同日午後四時三〇分ころ、監禁状態にあった宮本らを助け出すために赴いた訴外藤原憲二らに対し、殴る蹴るの暴行を加えて傷害を負わせた。

原告らの右行為は、本件規約二九条に該当する。

(4) 日常的な岡山県連運営において、組織の混乱と破壊を生ぜしめたこと

前記(2)の谷村文書問題のほか、以下に述べる、聖光苑問題、岡山市協分裂問題、真庭郡協組織問題などにおける原告らの各行為は、本件規約二九条に該当するものである。

ア 聖光苑問題

昭和四九年七月上旬、岡山市旭東地域にある網浜地区に鉄砲水が流れ込み浸水、土砂流出等の被害が発生したが、その原因としては上流の東山山麓において聖光苑(宗教法人円満院)が行っていた大規模な墓地造成(四、五〇〇坪の全対象地の立木全部を切り倒すという方法が行われていた。)によるものであることが判明した。その後、部落解放同盟網浜支部等が中心となって工事中止の交渉が進められ、同年八月二一日、県、市、工事業者、地域住民等の合同会議において、聖光苑は住宅隣地に接続する地域約四〇〇坪を市に寄付し、これを緑地帯にするなどの協定が締結され、一応の解決をみた。なお、地域住民らは、昭和五〇年六月、旭東地区生活と環境を守る住民連絡協議会を結成し、当時の社会党県会議員であった谷村が会長に就任した。

ところが、昭和五一年九月一日、原告江田(当時、岡山県連事業部長兼県同和地区企業連事務局長)は、岡山市衛生局長らに対し、「行政指導、行政指導といって個人の土地を取り上げてそれですむと思うとるんか。」などと因縁をつけて、聖光苑の右寄付地に関する寄付書類を強引に持ち帰った。その翌日には、原告江田の弟である訴外江田芳夫経営の江田道路が、右寄付地において作業を始め、住民の抗議を無視して工事を続行し、市の指導により一旦工事を中止したものの、再度工事を強行した。その際、抗議した谷村や住民に対し、原告江田のほか、原告伊沢(当時岡山県連書記次長)らが対峙して右工事を強行させようとした。

原告伊沢は、聖光苑墓地工事を請け負っていた訴外旭川建設株式会社の発起人であり、右寄付書の持ち帰り及び違法工事の強行について原告江田から相談を受けて全面的に関与していた。

イ 岡山市協分裂問題

① 昭和五五年八月に設立された協同組合チキンミール(代表者は近堂日出刃(以下「近堂」という。であり、同人は当時岡山県連岡山市協議会(以下「岡山市協」という。)の会計職を勤めており、同市協下の富原支部及び神下支部の支部長であった。)は、岡山県から一億五〇〇〇万円の高度化資金の融資を受けて、ブロイラーから発生する残しを共同処理加工する建物を建設する計画に着手したうえ、昭和五六年三月に稼働を始めたが、右が同和対策事業の一環であったにもかかわらず、近堂は機関を通さないでこれを行った。そのため、昭和五五年の岡山市協第一六回定期大会において、近堂の人事を巡って紛糾した(近堂の会計職への再任を認めないとの意見が強く出された。)が、結局富原支部(当時の支部長は近堂であった。)に所属する同盟員で近堂について批判していた訴外近藤二郎(以下「近藤」という。)の書記長就任と抱き合せで再任されるに至った。

これに対し、翌五六年一〇月二五日の市協第一七回定期大会において、近堂らは近藤を書記長から辞任させることを画策したものの、選考委員会において、近藤が書記長として圧倒的多数により再任されると、近堂は、当時岡山県連常任であった原告光森らとともに、富原及び神下支部の支部員を強引に大会から退場させた。

その後、岡山市協の会計職を辞任させられた近堂は、原告伊沢(当時、岡山県連書記長であった。)と協議し、その指導のもと、岡山市協の闘争資金(銀行預金)を凍結したうえ、原告光森を加え、昭和五六年一一月二九日、富原及び神下支部を中心に、岡山市協再建大会なるものを行って、第二(岡山)市協を結成すると同時に、岡山県連事務所のある解放センター四階に所在していた岡山市協事務所を不法占拠した。原告ら岡山県連幹部は、右占拠を黙認した。

原告伊沢ら岡山県連幹部は、終始、分裂市協(第二市協)側をかばい、岡山市協側の再三にわたる要請等や決議にもかかわらず、昭和五七年三月八日には岡山市協に解散と事務所の撤廃を命じ、反組織的言動に対して組織的罰則で対応すると威嚇するなど、岡山市協の民主的決定や運営を否定する措置(「岡山市協(双方)の解散と県連預かり」)を明らかにした。これに対して、岡山市協役員は、同月一二日、岡山県連に対し、公開質問を申し入れたが、同月一四日、岡山市協支部長会議において原告ら岡山県連幹部から一方的に右申入れの撤回を要求されるに止まったため、同月一六日、組織の原則を踏まえない岡山県連の右一方的決定を受け入れることはできない旨宣言し、その結果、七〇〇名もの脱会者を出す事態となった。また、岡山市協役員らは、右同日、被告の中央執行委員会に対し、上申書を提出し、事情を説明のうえ、岡山市協の再統一に向けて中央本部による指導を要請した。

② その後、中央本部の指導により、脱会者の一部が岡山県連に復帰する動きもあったが、なお、原告ら県連幹部による恣意的な機関運営が継続し、昭和六二年六月二五日には、原告らの運営に批判的な神下、乙多見及び宮の里支部の会員一同が集団で岡山県連を脱退する事件も起きた。

ウ 真庭郡協組織問題

岡山県連は、昭和五九年ころから、本件規約八条の「地区協議会」の設置の規定により昭和四八年に発足した真庭郡連絡協議会(以下「真庭郡協」という。)が県連規約に認められていないなどの理由から解散を要求するなどの非常識な行動に出たばかりか、原告ら岡山県連幹部らは、昭和六〇年に真庭郡協が中央本部の幹部を講師に招いて実施しようとした郡内啓発活動講演会等の開催に関し執拗に反対し、また勝山、落合及び湯原各町長を岡山県連に呼び出して真庭郡協への助成金を打ち切るよう圧力を加える等の非常識な行為を繰り返した。そして、真庭郡協会長である訴外川元富士雄が、岡山県連委員長である原告伊沢に対し、再三抗議を表明し、かつ話し合いの場を設定するよう要求したにもかかわらず、原告らは誠意ある対応を全くせず、昭和六〇年一一月、真庭郡協は中央本部に対し岡山県連に対する指導を申し入れるに至った。しかも落合町瀬田支部の同盟員二一名が、岡山県連に対し、昭和六一年三月絶縁状を送り、右県連との関係を断絶する事態も起った。

(5) 統制事案においても、中央本部の指示に反し、同一行為に重ねて処分を行うなどの行為があったこと

ア 昭和六一年三月英田郡作東町定例議会における訴外日笠議員(町議会厚生委員長)の発言に差別的内容を含んでいたものがあったため、被告の同盟員である議員が問題発言として取り上げ、発言取消の決議がされた。そして、右問題に関する作東町内の被告の同盟員(作東町協議会)と町当局の交渉の結果、同年八月一八日町長らは右日笠議員の発言を差別発言であると認め、同人を対町交渉の場に出席させ、釈明陳謝させる旨の約束をした。しかし、日笠議員が同年九月五日に行われた対町交渉の場に出席しなかったことから、町当局は同年九月三〇日までに出席させる等の約束をした。

しかるに、町当局は、右九月三〇日に至り、発言そのものは既に取り消されている等の理由により今後右問題に関する対町交渉に応じないとの態度を表明し、右決定は岡山県連執行部の了解を得ている旨明らかにした。作東町側の右態度変更に対し、作東町協議会は闘争宣言を発し、抗議行動を行ったところ、岡山県連執行部は昭和六二年一〇月、右抗議行動の中で訴外立岩国夫(作東町協議会土居支部長、以下「立岩」という。)及び同岩江正行(大原町協議会書記長・町会議員、以下「岩江」という。)が右県連の指導を無視して非組織的な差別的糾弾闘争を行ったことなどを理由として、右両名につき統制処分を決定(立岩については除名、岩江については権利停止)し、立岩に対してなされた除名処分については、本件規約二九条により、中央統制委員会に報告し、審査及び確認を求めた。

中央統制委員会は、昭和六三年四月二〇日、立岩に対する除名処分について、岡山県連の処分理由では根拠が薄弱であり除名処分に値しない等を理由として、同県連の右申請を却下した。

しかし、岡山県連は、右決定に反発して抗告するとともに(右抗告は同年六月二九日却下された。)、立岩に対し、えせ同和行為等があったとする別個の統制違反を理由とする審議を行い、同年七月統制処分(権利停止二年)を行った。中央本部は、作東町協議会から再度の統制処分に対する異議申立を受けて、岡山県連側と協議会側の双方から事情聴取を行ったが、岡山県連の再度の統制処分には明確な資料の裏付けがなく、実質的には除名処分の申請却下に対する反発に基づく報復措置と考えられた。

イ また、原告江田、同楠木及び同岡らは、平成元年七月、作東町、美作町に街宣車を乗りつけ、谷村差別者及び立岩えせ同和行為者などと人身攻撃し、さらに大原町役場に対して、立岩及び岩江にえせ同和行為があるかのごとく調査を要求するなど、立岩及び岩江に対する不当な圧迫と脅迫を行った。

ウ 原告らの右各行為は、本件規約二九条に該当する。

(6) 原告らは、前記(2)の谷村文書問題や(5)の日笠議員をめぐる問題に関して行われた糾弾闘争において、政治主義的偏向が顕著であり(前記の聖光苑問題で対立した谷村に対しては執拗に糾弾闘争を継続しながら、日笠議員の差別発言についての糾弾闘争については抑え込みを図っている等の点に見られる。)、部落解放運動の基本路線(部落解放運動の生命である差別糾弾闘争は、糾弾行動を通じて差別者に対して部落差別行為への反省を促し、部落解放への正しい認識を迫り、またこれを通じて部落大衆や関係行政機関らに対して部落差別問題への認識と自覚を深めさせるための教育活動である。)から逸脱した。

原告らの右行為は、本件規約二九条に該当する。

(7) 原告らは、岡山県連機関解体指示(平成元年三月二八日の中央執行委員会及び中央委員会の決定に基づく指示)後も、右指示に従わず(右指示に従う根拠は本件規約九条による。)、依然として「部落解放同盟岡山県連」を詐称したうえ、被告の部落解放運動を誹謗し続け、被告の組織再建運動に対し、機関紙、宣伝カー等の手段を用いて妨害を行っている。

原告らの右行為は、本件規約二九条に該当する。

(原告の反論)

(一) 除名処分の経緯について

昭和六三年九月ころ、岡山県連所属の宮本らが中央本部に対して岡山県連執行部についての苦情を持ち込んだこと、平成元年三月二八日被告が岡山県連の機関を解体する旨及び各支部を中央本部の直轄支部とする旨決定したこと、被告の中央執行委員会が平成元年五月二二日中央統制委員会に原告らの除名処分の審議を付託し、同年七月二五日中央統制委員会が原告らの処分を決定して、これを同年八月一日原告らに通知したことは認め、被告が如何なる経緯で岡山県連組織対策委員会を発足させたかは知らない。

本件の紛争は本件要請文に端を発しているところ、岡山県連は、中央本部から相対的に独立した組織として、その執行部は選挙あるいはそれに準じた民主的な手段ないし方法によって選出された同盟員によって構成され、その運営は原則として多数決の原理に基づき、また多数の同盟員の意思(県連大会の決議)に従ってされている。そうすると、本件要請文のように中央本部に直訴するという手段により組織指導の要請を求めることは、組織の原則や手続を無視するものであり、緊急避難的行為として許されるような特段の事情のある場合を除き、原則として禁じられるべきである。したがって、中央本部としても、右のような特段の事情が認められない場合には正式に受理してはならないというべきであり、本件においても、中央本部は、本件要請文の中身の検討に入る前に、正式に直訴として受理できるものであるか否かを慎重に審査する必要があったというべきである。

しかるに、中央本部は、右特段の事情の存否につき、岡山県連執行部への事情聴取を実施することもなかったなど、格別審査を実施したという事情もなかったのであるから、中央本部は、組織のルールや手続を無視したものというべきである。

(二) 同(1)について

(1) 部落研究所が本件土地上に本件建物(部落解放センター)を建築して、その所有権を取得したこと、本件土地及び本件建物につき被告が主張する根抵当権に関する各登記がされていること、昭和五五年九月一六日に設立された岡山県同和産業協同組合が昭和六〇年六月一〇日に一旦清算結了し、同年一一月一九日に再設立されたこと、原告伊沢が右の代表者理事であること、岡山県同和産業協同組合から原告伊沢が融資を受けていること、昭和五六年四月一日の各根抵当権設定について岡山県連の機関決議がされていないこと、岡山県同和産業協同組合、岡山県同和農業協同組合及び右各協同組合による融資事業に携わる者が個別の融資先、融資金額を一般同盟員に公表していないことは認める。

(2) 本件土地及び本件建物の性質

部落研究所の寄附行為には基本財産に関する定めがあるが、同研究所が設立された昭和五二年二月二二日の時点では、本件土地及び本件建物を所有していなかったし、その取得後も基本財産と指定されたことはない。

(3) 融資の経緯等

岡山県における同和対策事業としての自営業者に対する公的金融制度の確立までに至る過渡的な事業として、まず、金融機関から借入れを行い、これを自営業者に融資する主体として岡山県同和産業協同組合及び岡山県同和農業協同組合が設立されたところ、設立当初の両協同組合には資産もほとんどなく、金融機関からの融資実績等もなかったため、部落研究所の本件土地及び本件建物を担保として金融機関から借り入れることになった。

そして、昭和五六年四月一日の各根抵当権の設定は、岡山県同和産業協同組合及び岡山県同和農業協同組合の借入、返済実績の外形を作るために形式的に設定されたものであり、実際には、右両協同組合による借入金は金融機関に預け入れたままとなっていたのであって、現実に根抵当権が実行される可能性は全くないものであった。右根抵当権の設定については、岡山県連の関係機関における決議はされていないが、これは右のとおりの事情による。

また、昭和六一年一一月二九日の各根抵当権の設定は、右両協同組合による具体的融資実績を作ることが課題となって設定されたものであるが、当時の市中金融機関よりも利率の高い両協同組合から借り入れる者がなかったため、原告伊沢が、同人が代表者を勤める宿毛診療所(岡山県連宿毛支部の設立にかかる病院)の増築資金に充てることとして、借入を行ったものであり、これについては、岡山県連の執行委員会決議を受けている。

なお、以上のいずれの根抵当権の設定についても、部落研究所の理事会の決議を経ている。

(三) 同(2)について

谷村の経歴が被告主張のとおりであること、昭和六二年四月の県議会選挙の際、谷村の後援会が会員に対して、谷村の議員活動を紹介した岡山日報(昭和四五年一〇月一三日付け)の記事の切り抜きコピー(本件コピー)を郵送したこと、本件コピーの中には、矢田事件について部落解放同盟を誹謗中傷する内容の記事の一部が含まれていたこと、岡山県連は本件コピーの配布について谷村後援会に抗議したこと、昭和六三年六月岡山県連が社会党県本部に対して「県議選・谷村差別事件確認会への出席要請」なる文書を送付したこと、同年六月二一日中央本部から岡山県連に対し、事実調査を続行するが七月二日の確認会は現状凍結せよとの指示があったこと、同月三〇日にも被告から右確認会を延期するよう指示があったこと、同年七月二日岡山県連は谷村文書問題に関する右確認会を開催し(ただし、谷村は右確認会に出席しなかった。)、また街宣活動を通して谷村批判(確認会への欠席の点について)を行ったこと、谷村が同年九月一四日反省文を提出したことは認める。

本件コピーは、岡山日報の記事について相当複雑な切り貼りを加えて作られたものであって、その作成過程で、作成者側においてその記事の問題箇所は当然気付くはずであった。もっとも、本件コピーが配布された当時は、選挙戦の最中であり、谷村が部落解放同盟と友好関係にある社会党の議員であるうえ、原告岡がやはり候補者として競っていたことから、選挙妨害と受け止められるのを避けてあえて問題を提起せず、選挙戦終了後も、谷村が当選し原告岡が落選したという結果との兼ね合いで、いわゆる意趣返しと受け取られるのを避けるため、暫時問題提起を控えていた。そして、岡山県連は、いわゆる選挙のほとぼりが冷めた時期を見て、本件コピーの配布についての問題を提起し、事実関係の調査の一環として、確認会の開催を計画したものである。ところが、谷村側は、当初は問題を認め確認会への出席を承諾していながら、その後、中央本部に働きかけ、自らは確認会への出席を拒否し、他方、中央本部は、谷村の要請に応じて、十分な事実調査も行わないまま、一方的に本件コピーは差別文書ではない等の見解を表明する等した。岡山県連側は、谷村に対し、その対応ぶりを街宣活動等で批判し、その結果、昭和六三年九月七日には、中央本部の書記長等の出席を得て、谷村に対する本件コピー配布問題についての確認会を開催し、谷村は問題を認めて同月一四日に謝罪文を提出したのであって、以上をもって問題は解決を見た。

ところが、右確認会の直後のころから、当時岡山県連において原告ら執行部に批判的であった宮本らが、前記の問題は差別問題ではなかった等の主張を流布したため、原告らは、岡山県連の組織防衛のために、いわゆる網の目行動により事情説明を行ったものである。

(四) 同(3)について

平成元年五月一三日に岡山市浜川原隣保館二階会議室において岡山県連機関再建強化委員会が開催されたことは知らないし、同日午後三時ころ、原告岡、同光森、同江田、同楠木らが会議室の錠を開けて会議室内に乱入して宮本、片岡、高山に暴力を振るったこと及び午後四時三〇分ころに藤原らに暴行を加えたことは否認する。

原告岡、同光森及び岡山県連同盟員二〇名位は、同日宮本らが岡山県連機関再建強化委員会を浜教養館で開催するとの情報のもとに、公開討論会の開催を申し入れるため同所に赴いたが、同所には誰もいなかった。その後、原告らは浜川原隣保館を捜したが、原告らが二階会議室に呼び入れられた際、室内にいた宮本、片岡及び高山が負傷していたという状況は全くなく、原告らは宮本らに公開討論の申出を行った。その後、何者かによる室内にいる人が頭から血を流しており監禁されているという通報のもとに、警察官が来て、宮本ら右三名に事情聴取したが、その際、宮本らは暴行を受けたとの申出を全くしておらず、原告らとの公開討論に応ずるとの回答を行った。

その後、警察官は退室し、右原告らとの間で公開討論が始まったが、午後四時三〇分ころに宮本の仲間である松本正光、藤原憲二ら十数名が会議室内に乱入して、在室していた同盟員を殴る、蹴るの暴行を働いたということがあった。

(五) 同(4)について

(1) 同アについて

昭和四九年七月上旬の大雨で網浜地区において側溝をあふれる程度の土砂流失があったこと、その原因の一つとして聖光苑による東山山麓における墓地造成のための立木伐採問題が挙げられていたこと、右問題に関し、県等と地域住民や社会党旭東本部等との間で交渉があり、聖光苑が市に対して土地四〇〇坪を寄付し緑地帯にすることなどの合意がされたこと、昭和五一年九月一日に原告江田が岡山市役所に赴いて市側の当局者と会い寄付書類を受け取ったこと、翌二日に原告江田の弟が経営する江田道路が右寄付地において工事をしたこと、同月二〇日の工事の際に原告江田及び同伊沢が工事現場にいたこと、原告伊沢が旭川建設株式会社の発起人であったことは認める。

なお、原告江田が寄付書類を受領した経緯は次のとおりである。すなわち、岡山市は聖光苑からの寄付地を公園用地として受け入れる考えであったが、その西隣の旧火葬場が公園となったため、右寄付地を公園として受け入れることが困難となり、その寄付目的を明確化することができなくなったなどの理由から、右寄付地の問題は宙に浮いてしまった。他方、聖光苑は固定資産税等の負担があることから、何回も岡山市に対して市有財産への編入を申し入れていたが、岡山市は右寄付地の問題を放置していた。かかる状況の中で、結局聖光苑は、昭和五一年八月、右寄付地を既に工事が完成した墓地の墓参者の駐車場用地として使用すべく、寄付の申出を撤回した。その後、聖光苑等は、原告江田を前記岡山市への寄付申出に関する文書の返還交渉の代理人としたのであり、原告江田は、同年九月一日に岡山市役所に赴き、寄付文書を預るに至った。なお、その後工事は完成されたが、住民らの反対は全くなかった。

(2) 同イについて

岡山市協が昭和五六年に二つに分裂したこと、昭和五六年一一月一七日富原支部において真相報告会が開催されたこと、昭和五七年三月八日岡山県連は「岡山市協(双方)の解散と県連預かり」を決定し、双方の岡山市協に対し解散と事務所の撤去を命じたこと、同年三月一六日訴外三木逸郎(以下「三木」という。)を会長とする岡山市協に属する支部が岡山県連に対し脱会届を出したこと、神下支部長中元健次(以下「中元」という。)及び中元の下にいた一部の支部員が岡山県連から脱会したことは認める。

協同組合チキンミールの行った事業については、当時の岡山県連の内部において議決を経ており、その高度化資金借入れ問題は、岡山市協分裂問題とは関係がない。また、昭和五五年の岡山市協第一六回定期大会では、役員人事に関する問題は何ら生じなかった。

昭和五六年一〇月二五日に行われた岡山市協第一七回定期大会においては、事前に近藤(同人は富原支部の書記長の職にもあった。)が書記長再任を辞退する意向を表明していたにもかかわらず、同人を書記長に再任する旨の決議が強行されようとしたため、富原支部長であった近堂、近藤の後任として富原支部の書記長に就任していた原告光森並びに富原及び神下支部の全同盟員は、議場を退出したものである。

原告ら岡山県連執行部は、右のようにして分裂した両市協に対し、終始統一を求めてきたのであり、岡山県連が双方の岡山市協に対し解散と事務所の撤去を命じたのも、双方に統一を呼びかけ、統一を実現するためであった。これに対し、三木を会長とする岡山市協は右決定に従うことなく、岡山県連に対し公開質問をし、同県連側の質問撤回要請を無視したうえ、脱会届けを出すに至ったのである。そして、三木側の岡山市協は中央本部に対し、再統一の指導を要請する上申書を提出したが、中央本部は、岡山県連に指導を一任している旨の通知を出した。そこで、岡山県連は、右通知に基づき岡山市協の再建に着手し、昭和五七年六月に岡山市協の再建大会を開催し、岡山市協を再建したのである。そして、岡山県連を脱会していた住吉支部、乙多見支部及び宮の里支部が復帰した。

なお、その後も、一部の同盟員に岡山県連を脱退する動きが見られたが、これは、原告らから支部運営等に絡む不正行為の追及を受けた結果に過ぎない。

(3) 同ウについて

真庭郡協が昭和四八年に発足したこと、岡山県連は昭和五五年ころから真庭郡協に対し郡協議会組織は規約上に定めがないことなどを理由として解散を指導していたこと、真庭郡協が昭和六〇年に中央本部の幹部を招いての講演会を開催したこと、昭和六一年三月落合町瀬田支部所属の二一名が岡山県連に絶縁状を送ってきたことは認める。

岡山県連が真庭郡協に対して解散を要求した経緯は、次のとおりである。すなわち、岡山県連は、昭和五五年ころから、郡協議会組織は県連規約上の根拠がなく、真庭郡協を除いて他に一つもなかったことから、解散するように指導してきた。他方、同県連が、行政からの補助金は県連及び市町村協議会のみが交付を受けることとし、ブロック別の地区協議会(岡山県連内には、備中、備前、美作の各ブロック別の地区協議会が存在した。)が補助金の交付を受けることを中止したにもかかわらず、真庭郡協は郡内の市町村からの補助金の交付を受けており、岡山県連からの交付を受けないようにとの指導にもかかわらずこれを拒否した。岡山県連は、昭和六〇年三月に、真庭郡協の自主的解散を求める決議を行い、そのための指導を強化した。そのような経緯の中で、真庭郡協は、中央本部の幹部を講師に招いての講演会を企図したが、これについて、岡山県連は、真庭郡協に対し、市町村協議会名で開催する旨指導し、中央本部に対しては、従来の指導に反して岡山県連を通すことなく講師を受任したことについて釈明を求めた。そして、昭和六〇年一〇月一五日、岡山県連執行委員会は、真庭郡協を解散する旨の決議、真庭郡協への補助金の交付の中止を求める決議をし、真庭郡内の市町村にこれを通知したのである。なお、以上の真庭郡協問題については、同郡内の落合町協議会に所属していた当時岡山県連副委員長の宮本に、関連する支部への説得が委ねられていた。

(六) 同(5)について

日笠議員が昭和六一年三月英田郡作東町町議会において、同和対策課長が長続きせず、その原因が部落内の対立、あるいは関係者が職員をどなることにあるなどの発言をし、被告の同盟員である議員が問題発言として取り上げた結果、発言の取消の措置が採られたこと、同年八月一八日に作東町協議会が行った対町交渉の席上で日笠議員の発言が再度問題として採り上げられたこと、その後岡山県連が立岩、岩江に対して右発言問題に関する岡山県連の指導に背反する行動を行ったこと等を理由として、右両名に対し統制処分をしたこと、同県連は右処分について被告の中央統制委員会に報告し確認を求めたが、中央統制委員会はこれを却下したこと、右に対する岡山県連からの抗告申立も却下されたこと、その後岡山県連が立岩に対して権利停止二年の統制処分を行ったことは認める。

日笠議員の発言問題については、昭和六一年四月の段階で、作東町協議会自体から、既に議会内で決着がついているので問題はないとの説明が行われていたが、その後、同年九月一四日に行われた作東町長選挙に絡み、作東町協議会の幹部の一部が当時の町長の対立候補の支持者であったことから、政治的性質を含んで問題として再燃してきた。岡山県連としては、当初は干渉を避ける姿勢で対処したが、町長選挙直前の同年九月五日に行われた対町交渉においては、問題の整理のために原告楠木も出席し、同月三〇日までに日笠議員の出席を求めて解決のために万全の措置を採る旨作東町側の約束を得た。そして、町長選挙の結果現職町長が再選された後は、日笠議員に十分な反省の姿勢が見られたこともあり、作東町協議会内の反町長派の動きを鎮静化させる趣旨で、岡山県連から作東町協議会に対し、岡山県連としては日笠議員の動きを暫く見守ることとしたので、作東町協議会側においても性急な行動は控えるよう指導した。

ところが、立岩、岩江らは、日笠議員の発言に対して糾弾闘争を強行しようとしたため、岡山県連は、問題整理のため、同年一〇月一一日、作東町公民館において、関係者の出席を得て、日笠議員からの事情聴取の機会を設けたところ、立岩、岩江らは、右会場に押しかけ、岡山県連副委員長に暴行を加える等行った。このため岡山県連は、右両名について、統制処分を行ったものである。

なお、岡山県連が、後に立岩に対して権利停止二年の統制処分を行った理由は、同人が長年にわたって自己の地位を利用して土建業者からリベートを得ていたこと、自己の居宅の工事を差別者として糾弾した相手方に請け負わせていたこと等の腐敗行為があったことに基づくものである。

4  原告らに対する名誉毀損による不法行為の成否

(原告らの主張)

(一) 被告は、本件除名処分の理由として、左記のとおりの事実を摘示して多数の同盟員、行政機関等に公表した。

① 「岡山部落解放センター」を一握りの企業者への融資制度のために違法に担保に入れ、その担保によって得た原資から原告らあるいは原告の関係者らが真先に融資を受けるという、幹部活動家として許すことのできない腐敗行為を行った。

② 被告への誹謗、中傷を繰り返し、デマを浴びせた。

③ 平成元年五月一三日岡山県連機関再建強化委員に対し暴行、監禁行為をした。

④ 岡山県連運営に当たって、民主主義の軌道を逸脱し、組織の混乱と破壊を生ぜしめた。

⑤ 糾弾闘争が政治的に偏向しており、谷村県議に対する糾弾はそれが顕著であり、中央本部の指示に反して、右県議に関する問題の決着後も宣伝を続けて、部落解放運動の基本路線から逸脱した。

(二) 被告は、平成元年一二月一二日、原告らによる本件除名処分に対する抗告を却下した後も、全国の部落解放同盟員、各府県連、岡山県下の行政機関等に対して、右(一)の事実が存在し、部落解放同盟の名誉を汚損し、本件規約に違反し、機関決定に従わなかったので原告らを除名した旨の宣伝を広く行い続けた。

(三) 原告らは長年にわたって真摯に部落解放運動に献身してきたところ、被告の本件除名処分及びそれに関する宣伝行為によって著しくその名誉を毀損され、社会的な信用を低下させられた。右名誉毀損による損害を金銭的に評価すれば、原告ら各自五〇〇万円を下らない。

(被告の主張―真実性等の主張)

被告が除名事由として挙げた右(一)の(1)ないし(5)の事項は原告らの現実の行為を指摘したものであり、被告が、原告らに対する本件除名処分について、被告の構成員である各機関や個人に周知せしめることは、運動団体として当然の措置であるから、公共の利害に関する事実にかかり、かつ公益を図る目的に出たものであるというべきである。

そして、被告は、その責任機関において慎重な事実調査のうえ、除名事由が真に存するとの確信の下に本件除名処分を決定したのであるから、被告の措置は違法ではないし、本件除名処分を公表したことにも違法性は存しないというべきである。

5  原告らの名誉毀損による損害賠償請求権は時効消滅したか否か

(被告の主張)

原告らの被告に対する、名誉毀損による損害賠償請求が地位確認請求に追加して申し立てられたのは、平成四年一一月一七日であるところ、被告が原告らに対して本件除名処分をしたのは平成元年八月一日付けの除名処分通知書によってであり、しかも被告は、その直後に除名処分事由を含む事実を解放新聞等により、組織内の機関、個人及び団体等に周知せしめた。してみると、原告らの右除名処分に基づく名誉毀損による損害賠償請求権は、右時期より三年経過した平成四年九月には時効により消滅したというべきである。

よって、被告は、右消滅時効を援用する。

(原告らの主張)

被告の原告らに対する名誉毀損行為は、原告らを除名処分し、かつその旨を不特定多数人に知らしめたことであるから、消滅時効の起算点についても、被告が最後に原告らの除名処分を不特定多数人に告知した時点であるというべきである。

そして、被告は、原告らの除名処分の発表をした中央機関紙である解放新聞につき、その縮刷版を平成二年五月一五日に発行したり、平成二年以降においても、岡山県内、その他の地域の集会等において、原告らの除名の経過等を、口頭や文書により、不特定多数人に対して説明することによって、原告らの名誉毀損行為を行ったのであって、未だ消滅時効の期間は満了していないというべきである。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告の表示の訂正の可否)について

原告らは、訴状において、被告を「部落解放同盟中央本部 右中央執行委員長上杉佐一郎」と表示したところ、被告は、右中央本部は機関にすぎないから当事者適格を有しないとの主張をした。これに対して、原告らは、被告の表示を「部落解放同盟 右代表者中央執行委員長上杉佐一郎」と訂正する旨主張していることから、まず、右当事者の表示の訂正が許されるかどうかについて検討する。

原告らは、訴状の請求原因において、被告の説明として、「被告は、一九四六年二月一九日に、一九二二年に発足した全国水平社の伝統と組織を継承する形で結成されたものであり…『部落差別から部落民衆を完全に解放すること』(本件規約二条)を目的とするものである。」と記載しており、当初から被告が部落解放同盟自体を意味するものとして主張を展開してきたこと、右主張に対して、被告も、その主張対応を見る限り、第一回口頭弁論期日が開かれた平成二年五月一五日から三年を経過した後の平成五年四月一六日付け準備書面において、初めて、「部落解放同盟中央本部」は機関であるがゆえに当事者適格を欠くものであるとの主張をするに至るまで、原告らにより被告とされているものが、実際のところ部落解放同盟自体であることを当然の前提として、特に支障なく答弁及び主張を展開してきたこと、本件規約を見ても、中央本部についての明確な定義規定は存在しないけれども、被告の地方組織である都府県連合会に対して、全国組織である部落解放同盟自体を呼ぶ場合には通常部落解放同盟中央本部と称されていること(弁論の全趣旨)を総合して判断すると、原告らが主張しているとおり被告の表示を訂正しても、当事者の同一性に欠けるものでもなく、また被告に何らの不利益を与えるものではないといえるから、右訂正は許されると解するのが相当である。

そして、前記争いのない前提事実及び後記二に述べる被告の組織内容に照らすと、被告は民事訴訟法四六条所定の要件を満たすことは明らかである。

二  争点2ないし争点4について

1  原告らは、本件除名処分が無効であることを前提として、被告における地位の確認請求をするところ、被告は本件除名処分は被告の内部的自律権の発動であり一般市民法秩序と直接的関係を有しない被告の内部問題にすぎず司法審査の対象となり得ないと主張するので、まず、この点について検討する。

(一) 被告は、部落差別から部落民衆を完全に解放することを目的とした、部落民をもって構成される大衆団体であり、本件規約を有することは、当事者間に争いのない事実である。

そして、被告は、部落解放同盟綱領(甲第一号証、昭和五九年改正)によれば、「全国に散在する六千部落、三百万の部落民は、前近代社会から今日に至るもなお階級搾取とその政治的支配の手段である身分差別によって、屈辱と貧困と抑圧の中に呻吟させられて」いることから右部落差別からの完全解放を実現するために「部落民の利害を明らかにし、共通感情を目的意識的に高め、その自覚に基づ」き自主的に結成された運動団体である。

(二) そして、被告の組織については、以下の事実が認められる(甲一。なお、本項に掲示した条文は、本件規約のそれを指す。)。

(1) 同盟員資格の得喪等

被告の同盟員資格の得喪等について本件規約によれば、被告の綱領、規約を承認し所定の手続を経て被告に加入する部落民が同盟員とされ(四条本文。なお、同条ただし書により、部落民でない者については都府県連合会で審査決定し、中央本部の承認により同盟員とすることができるとされている。)、他方、被告の名誉を汚損し、規約に違反し、機関の決定に従わない等の行為のある同盟員に対しては、都府県連合会の統制委員会で審査のうえ、除名、除籍勧告、活動停止、役職停止、戒告その他の統制処分を行い、また解除することができるが、除名処分については、都府県連合会より中央統制委員会に報告し、同委員会の審査・確認を受けることが必要とされており(二九条)、規律違反で統制処分をうけた者は、処分に対して不服を有する場合は、中央統制委員会に対し抗告することができるとされている(三〇条)。また、中央統制委員会は中央執行委員会の提起により本同盟の規律に違反する行為等を審査し、それに対する処分を決定して全国大会及び中央委員会に報告し承認を得るものとするとされている(二一条)。

(2) 被告の組織及び機関

被告の基礎組織は、支部であり、支部は部落を単位として、本件規約とは別に定められる規約準則に従って五名(五世帯)以上の同盟員をもって組織するものとされ(六条)、各都府県の地域内に五つ以上の支部があり、かつ同盟員が一〇〇名以上あるときは都府県連合会(地方組織)を結成することができ、右結成のときは所定の手続により中央本部(これについての明確な定義規定は存在しない。)の承認を要するとされ、都府県連合会は、中央本部の決定に基づき、その地域における部落解放運動を推進し、所属各支部及び同盟員の活動を指導するものとされている(九条)。

また、中央機関に関し、最高機関として全国大会、これに次ぐ決議機関として中央委員会、執行機関として中央執行委員会(その委員長が被告を代表するものとされている。二四条)が、それぞれ設置されている(一一、一二、一六、一八条)。そして、全国大会は、各都府県連合会から選出された代議員と、全国大会で選挙により選出される中央役員(右の全国大会以外の各中央機関の委員等として活動する。二三、二四条)により構成され、原則として毎年一回招集され、代議員定数(中央委員会で決定される。)の三分の二以上の出席により成立し、その議事は出席した全国大会構成員の過半数の賛成によって決することとされている(一二ないし一五条)。中央委員会は、中央役員全員により構成され、毎年四回以上招集され、中央役員定数の過半数の出席により成立し、その議事は出席構成員の過半数の賛成によって決する(ただし、中央統制委員及び中央会計監査委員は議決権を有しない。)こととされている(一二、一五ないし一七条)。さらに、被告の中央機関の一つとして、中央統制委員会が設置されているところ、同委員会は、中央執行委員会の提起により被告の規律に違反する行為等を審査し、それに対する処分を決定して全国大会及び中央委員会に報告し承認を得るものとされている(二一条)。

(三)  右(一)及び(二)の事実によれば、被告は、運動団体としての目的を達成するため、自らの存立及び組織の秩序維持に関する自治権ないし自律権を有し、構成員を規律する包括的権能を有する団体であるといえる。したがって、右のような団体である被告内部における自律権による制裁処分については、原則的には、それが一般市民法秩序と直接関係を有しない内部規律の問題にとどまる限り、団体としての自主性及び自律性を尊重すべく、被告の自主的、自律的な措置に任せるのが適当であって、裁判所の司法審査の対象にはならないと解するのが相当である。これに対し、当該処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合においては、右処分の当否は司法審査の対象となると解されるが、その場合においても審査の範囲においては前記の被告の自律権を十分考慮に入れたうえで検討する必要がある。本件除名処分については、その手続的な問題については、これを裁判所が判断したとしても直ちに被告の自律権を侵害するものではないから、右手続規範自体が著しく不公正であったり、被告内部の手続規範に違背してなされたなど、手続問題についてはその適否を判断できるが(もとより、本件においては、本件除名処分を無効と評価すべき手続違背の有無が問題となる。)、当該処分を課すべき理由があるか否か、当該処分を選択したことが相当であるか否かといった実体的な問題については、原則として被告内部の自律権に基づく判断に委ねるのが相当であり、処分が全くの事実上の根拠を欠くか、社会観念上処分内容が著しく妥当性を欠く等制裁権の濫用があるか否かについてのみ審査できると解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、原告らが主張するように、「同和対策事業が実施される場合には、被告をはじめとする運動団体しか行政の窓口になることはできず、したがって、右運動団体からの排除は同和対策事業から事実上排除することを意味」するものとすれば、被告の同盟員の一員としての地位が認められるかどうかは、原告らの社会生活上の利益に関連するものとはいえるが、右利益をもって法的利益とはいまだ認め難い(なお、被告から除名されたとされている原告らは、後記のとおり、現在岡山県連の名称を使用して活動を続けているところ、岡山県下ではほとんどの自治体において原告らの運営する右団体が前記のような行政の窓口となっている状況にある。)。

もともと、被告は、前に見たとおり、今日なお残る部落差別問題に社会の全般な観点から取り組み解決していくことを目指す団体であり、同盟員の個別具体的な経済的利益の追求ないし確保を直接の目的とするものではない。また、原告らは労働組合の除名処分との対比を主張するが、労働組合の組合員には憲法上保障された団結権の内容をなすものとして組合活動に参加しうる地位を認めることができるとしても、被告の同盟員に右組合員と同様の地位を認めることは困難である。

そうすると、本件除名処分は原告らの一般市民としての権利利益を侵害するものとは認め難いというほかない。

よって、本件除名処分の無効を前提とする被告の同盟員の地位にあることの確認を求める訴えは却下を免れない。

(四) なお、本件の経緯に鑑み、付言すると、仮に本件除名処分が原告らの一般市民としての権利利益を侵害するものとしても、以下のとおり本件除名処分が無効であるとは認められない。

(1) 争いのない前提事実に証拠(甲一、六五、乙三ないし五、証人小森、原告岡)を総合すれば、以下の事実が認められる。

ア 中央本部は、平成元年三月二八日、岡山県連組織問題に関する中央本部見解を出し、岡山県連に関わる一切の機関を解体することを指示し、支部の機関については存続するものとするが、岡山県連機関を再建するまでの期間、各支部は中央本部の直轄支部とすることとされた。

なお、原告らは、岡山県連の機関が解体された時点において、同県連の執行部を構成していた。

イ 右機関解体された岡山県連は、その後も、定期大会を開催したり、機関紙「解放新聞」を月二回発刊したりするなど組織活動を展開しており、市町村協議会として三五協議会、支部数として一〇四支部を擁している。また、右機関解体された岡山県連側に行政として対応している市町村は、岡山県内の県・一〇市・六八町村のうち、県・九市・六四町村である。

他方、被告は、平成元年六月一八日、旧西大寺市の市民会館にて岡山県連再建大会を開催した。右再建大会において、岡山県連における新しい執行部が決められた。

ウ 本件規約二一条では、「中央統制委員会は中央執行委員会の提起により本同盟の規律に違反する行為等を審査」するとされているところ、被告において、平成元年五月一九日に第四六期第四回中央執行委員会が開催され、同月二二日右中央執行委員会は中央統制委員会に対して、原告らに対する除名処分を発議し、その審議を付託した。

エ 中央統制委員会は、原告らに対し、弁明書の提出を求めたところ、原告らから除名事由に該当しないとの弁明書が提出されたものの、同委員会は、同年六月九日開催の第四六期第一回中央統制委員会において、原告らが既に解体された岡山県連の組織と役職を詐称して弁明書を提出してきたことを理由に、右弁明書を原告らに返却したうえ、再弁明の機会を与えた。

オ 同年七月二五日に第四六期第二回中央統制委員会が開催され、被処分者である原告らから提出された弁明書を検討するとともに、被告中央本部執行委員長である訴外上杉佐一郎(以下「上杉」という。)を出席させて中央執行委員会の処分発議理由及び右弁明書に対する見解を聴取した。そのうえで中央統制委員会は、被処分者である原告らに対して直接的な意見聴取を行う必要があるか否かを検討した結果、中央執行委員会の除名処分発議及び上杉の説明した趣旨は全面的に承認できるものであり、事実関係においても明白であり、また原告らが再提出した弁明書は、中央本部の岡山県連機関解体の決定を無視した立場には変化がなく、敵対的関係に立っているものと認めざるを得ないとして、同年七月二五日、原告らからの直接的な事情聴取をすることなく、原告らに対する本件除名処分を決定し、少なくとも同年八月一日までには原告らにその旨の通知をした。

カ 原告らは、同年八月三一日付けの抗弁書をもって、本件除名処分に対して抗告したが、中央統制委員会は、同年一二月一二日、右抗告を却下した。

(2) 右事実によれば、本件除名処分は、岡山県連が解体されたことを受けて、「中央統制委員会は中央執行委員会の提起により本同盟の規律に違反する行為等を審査」するとの規定(本件規約二一条)に従って、中央執行委員会が、中央統制委員会に対して発議し、その審議を付託したうえ、中央統制委員会は、原告らの弁明書を提出させ、これを検討した結果として決定されたものであることが認められ、また、前認定のとおり、原告らに対しては、本件規約三〇条に基づき、本件除名処分に対する抗告の機会が与えられ、原告らは抗告をしたものの却下されるに至ったというのであるから、本件除名処分は被告内部の規約に副ってなされたものであるということができる。

なお、同盟員に対する除名処分という統制処分は、原告らから被告の同盟員であるとの資格を喪失させ、被告とは無関係な存在とするという意味で、制裁としては極めて重いものであることからすれば、処分者たる被告において、被処分者である原告らから直接事情聴取することが望ましいものと一応いえる。

しかし、「統制処分にともなう手続きに関する内規」(甲一)によれば、除名処分に関し、都府県連合会が除名を決定もしくは確認し除名処分確認申請書を提出した場合、中央統制委員会は被除名者に対して除名処分確認申請書に対する弁明書の提出を求めなければならないとされており(三条)、中央統制委員会は、右申請書及び弁明書等の審議の必要に応じて弁明書に対する抗弁書及び抗弁書に対する再弁明書などの提出を求めることができ、また関係者より事情聴取などの措置をとることができるとされている(四条)ことが認められるところ、右各規定に定める手続は、除名処分が中央執行委員会により発議された場合にも同様に妥当するものと理解される。そうすると、処分者側である被告が、処分内容を決定するに際し、その処分事由の存否について、弁明書の提出を求めるほか、いかなる調査方法を採るかは、被告の裁量に委ねられていると解さざるを得ないのであって、常に被処分者からの直接的な事情聴取が除名処分を決定するための必要不可欠の要件であると解することはできないというべきである。本件において、中央統制委員会が審議を開始した後、中央執行委員会からの審議付託申請と原告らからの弁明書を検討したうえ、さらに関係者に対して右以上の手続を必要と考えるかどうかは中央統制委員会の裁量に委ねられているものと認めるのが相当であるから、中央統制委員会が原告らに対し、弁明書を提出させたこと以外に直接事情聴取を行わなかったことをもって、直ちに本件除名処分手続に瑕疵があったとは認め難いというべきである。

さらにその他に本件除名処分の効力を妨げる(無効とすべき)ような手続上の瑕疵を認めるに足りる証拠はない。

(3) また、証拠(乙四、証人小森)によれば、中央執行委員会が中央統制委員会に対して、原告らの除名処分の審議を付託したのは、平成元年三月二八日に岡山県連の機関が解体されたにもかかわらず、右機関解体時に岡山県連の執行部を構成していた原告らが右機関解体の指示に従わなかったことなどを理由とするものであることが認められるところ、前認定のとおり、各都府県連合会は中央本部の決定を遵守すべきものとされている(本件規約九条)ところ、岡山県連の執行部を構成していた原告らは、機関解体指示後も、岡山県連と称して、定期大会を開催したり、機関紙「解放新聞」を月二回発刊しているなど組織活動を展開している等の事実に鑑みると、少なくとも右の点に関しては原告らに関し規律違反事実の存在が肯定でき、被告が原告らに対して本件除名処分を行ったことをもって、制裁権の濫用があったものとも直ちには認め難い。

2  次に、原告らの名誉毀損に基づく損害賠償請求について、検討する。

(一) まず、本件除名処分自体の公表が原告らに対する不法行為を構成するかどうかであるが、自律権を有する被告が、その自律権に基づいて行った除名処分の事実自体を組織内部に周知徹底すべく公表することは組織内部における統制処分に付随する行為として正当であると解されるうえ、前記のとおり、本件除名処分は無効とはいえないのであるから除名処分を外部に公表すること自体が原告らに対する名誉毀損による不法行為を構成するものとは認め難い。

(二) 次に、本件除名処分の理由として記載された表現が原告らの名誉を毀損するものであるかどうかについて、検討する。

(1) 原告らが原告らの名誉を毀損する処分理由として主張するところは、①「岡山部落解放センター」を一握りの企業者への融資制度のために違法に担保に入れ、その担保によって得た原資から原告らあるいは原告の関係者らが真先に融資を受けるという、幹部活動家として許すことのできない腐敗行為を行った、②被告への誹謗、中傷を繰り返し、デマを浴びせた、③平成元年五月一三日岡山県連機関再建強化委員に対し暴行、監禁行為をした、④岡山県連運営に当たって、民主主義の軌道を逸脱し、組織の混乱と破壊を生ぜしめた、⑤糾弾闘争が政治的に偏向しており、谷村県議に対する糾弾はそれが顕著であり、中央本部の指示に反して、右県議に関する問題の決着後も宣伝を続けて、部落解放運動の基本路線から逸脱したというものである。

そして、本件除名処分通知の各摘示内容を見た者は、原告らが被告の推進する基本路線から逸脱した行為を種々行い、かつ被告という組織の混乱と破壊を生ぜしめたかのようような印象(特に監禁・暴行という犯罪行為を行ったかのごとき印象を与えるものでもある。)を受けるものと認められ、原告らの社会的評価が影響を受けることは否定できないところであるというべきである。

(2) ところで、前記のとおり、被告の自律権を尊重する趣旨からは当該処分の理由が「被告の名誉を汚損し、規約に反し、機関の決定に従わない行為等」(本件規約二九条)に該当するか否かの評価を記載しているものである場合には、右評価は原告らが所属する被告自身の判断に委ねられるべきものであり、それが社会観念上著しく妥当性を欠くと認められるような特段の事情のない限り、被告の右判断が尊重されるべきものと解するのが相当である。これに対し、当該処分の理由が、単に事実を摘示するにすぎないような場合には、当該摘示事実が原告らの名誉を毀損するか否かを判断すべきものと考えられる。

かかる観点から、本件を見ると、本件除名処分理由は、いずれも一定の事実を当然の前提として記載されており、原告らや被告の関係当事者以外の第三者には抽象的な結論が指摘されているものと理解されるものであり、特に名誉毀損に関する原告ら主張の③(以下、単に③のように表記する。)以外の理由は、一定の事実(①は、本件除名処分に関する被告の主張(二)の(1)及びこれに対する原告の反論(二)に記載する紛争事実であり、②及び⑤は、本件除名処分に関する被告の主張(二)の(2)・(6)・(7)及びこれらに対する原告の反論(三)に記載する紛争事実であり、④は、本件除名処分に関する被告の主張(二)の(4)及びこれに対する原告の反論(五)に記載する紛争事実を指しているものと認められる。)を前提としてそれが被告の運動方針に反するか否かなどの観点から本件規約二九条に該当するとの判断を示しているものと解せられるところ、それが社会観念上著しく妥当性を欠くと認められるような特段の事情を認めるに足りる証拠はない。そうすると、結局、右③を除く各処分理由についてはこれが違法に原告らの名誉を毀損するものとは認め難い。

これに対し、③の理由は、原告らが、被告も主張するように部落解放運動とは無縁の監禁暴行を行ったとの事実を摘示するものである。

しかしながら、被告が本件除名処分を公表し原告らに通知したのは平成元年八月一日ころであり、原告らが右処分に対して抗告したのは同年八月三一日であるところ、被告が右消滅時効を援用したことは当裁判所に顕著であるから、遅くとも右時期から三年を経過した平成四年九月一日には右損害賠償請求権は時効により消滅したものというべきである。

これに対し、原告らは、被告は本件除名処分公表後も、本件除名処分事実の宣伝行為を継続したから消滅時効の起算時は被告が最後に右処分事実を公表したときであると主張する。しかし、処分をしたこと自体の公表が直ちに不法行為とならないことは右に見たとおりであり、また、右宣伝行為が各別の不法行為を構成することがあり得ることはともかく(ただし、右不法行為についての具体的主張はない。)、本件除名処分の公表行為による名誉毀損行為はそれ自体が独立した不法行為となるものであるから、原告らの右主張は採用できない。

なお、被告が原告らの除名発議をした旨を記載した平成元年五月五日付け解放新聞の縮刷版(甲第六六号証)を発行したことは、ことさら右日付の新聞のみの縮刷版を発行したと認めるに足りる証拠はなく、右は記録保存的な意味で作成された解放新聞の一四〇四号から一四五三号の縮刷版の一部にすぎないと認められるから、右縮刷版の作成配布が独自に原告らに対する不法行為を構成するものとは認め難い。

(3) そうすると、原告らの主張する名誉毀損による損害賠償請求は理由がない。

三  以上によれば、原告らの本訴請求のうち、原告らが被告同盟員の地位にあることの確認を求める訴えについては不適法なものとして却下し、原告らのその余の請求については理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官八木一洋 裁判官野々垣隆樹)

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